自分の不甲斐なさに拍子抜け

(いやに長くなってしまいました。途中から完全に自己啓発セミナー開いてます)

ああ。昨日は話しかける絶好のチャンスだったのに、結局話しかけられず。
昨日ほど良い日もなかったろうに。駄目だ自分。

話しかけられない要因の一つに、服装が予想出来ないほど可愛すぎるというのがありましたが、それでも不甲斐ないです。
今まで順調に刻んできた16ビートが14〜15ビートになってしまいました。

それにしてもあの黒基調に胸元白は反則です。

今日が勝負。それ以外はテスト当日に話しかけるというようなことになってしまいますから。追い詰められたらやらないといけない。



自分はストレスがない人間だと思っていました。
小学校から通知表の自由欄には
「問題を見つけたらそれに向かって対策をして解決していける子」
と書かれ続けていました。
多分、ストレスの元を、出くわしたらすぐに解消してきていたんでしょう。それも無意識に。

────────────そういう風に生きてきた自分は、愚痴をいう人やストレス溜まったと言う人を見かけると、なら何らかの対策をとれば?と思うだけで、それを聞いて不愉快に思ったりすることはありません。愚痴を聞いても別にストレスと感じませんし。聞きたくなければ聞きたくないと言うなどの対策をとれば済む事(言わないのはストレスと感じてないからです)。むしろわたしが聞きたいのはこれからどう対処していくかという建設的な意見────────────

話がそれました。
わたしはどうしてストレスが溜まるのか、大抵の場合疑問です。
その解決方法を考えたりするのって人間の営み的にも自然なことだと思いますし、それが楽しいと感じないのでしょうか。
問題→解決→新問題→解決で人は成長すると思います。
この矢印の部分を愚痴だけでは何も解決しませんよ。対策を考えないと。
愚痴ばかり言ってる人はストレスを余計溜めるだけだからやめた方が賢明だと思います。

しかしね?
先ほどは大抵の場合と書きました。
大抵でないこと、それは自分が原因であること。それだけ。

この唯一の例外がわたしにストレスをもたらしてくれます。
昨日も。
この唯一の例外に対する策はなかなか浮かびません。

どうすれば良いのか。


他人が自分をどう思おうが、自分に対しての悪口を言おうがけなそうが、他人がダークモードで愚痴を吐き出していようが何が起きても、そんなことは全て他人のことと割り切ってストレスとは感じないわたしでも、自分が原因となると…。

かくも難しい問題とは。



わたしは、誰かが怒っている姿を笑って見ることが出来ます(叱る姿は無理ですが)。
怒りってなにかのストレスがほとんどの原因でしょう。ストレスがある状態の人を理解できないからです。
怒っている人って馬鹿らしく感じます。
だから自分は滅多に怒りません。


でも、自分に対しては、憤る。



それでも。 自分に自信はあるんです。

それだから。 自分は自分を嫌いになれないんです。

それこそ。 この考え方が今回の対策になるんじゃないかと思うんです。