コラムだねこれは。

はふー。忙しいのに興味あるスレを見つけたら読んでしまいます。

忙しいのになあ。
今日の日記は二段構成。コラム的。


先日アップした食べられている途中のナナフシ、
昨日大学へ行く途中に探してみると、胴体が残ってました。

写真に撮ろうかと思いましたが、
現代日本の道徳と照らし合わせてやめました。

カマキリは動いているものにしか反応しません。
ナナフシはもともとあまり動かないですし、
カマキリはお腹いっぱいの状態でも
生きているものを発見すると必ず捕まえます。

ナナフシは頭から喰われ始め、すぐに動かなくなった。
そしてカマキリはすぐに食べるのをやめた。
こういうことでしょう。


これが自然界ですよ。
人間も人間の習性、カマキリにはカマキリの習性があるのです。

これに対して酷いとか可哀相だとか。
そういう感情は持たないべきだと。
「考える」ということ自体が人間中心的考え方なのですよ。

だから生きているってむなしいし、考えるって不毛ですし
いつ死んでも良いという心構えが必要なのです、と。

そんなことを言うつもりはないので、読んだ方がご判断を。
因みにそんなこと言うわたしは哲学という「考える」ことが好物です。



ムユルさんとわたしは性格がかなり一致しております。
その性格の一つに「どうでも良いことはどうでも良いけど譲らないものは一貫して譲らない」というような面があります。性格は同じなのですが、その譲らない部分が違うから、
個というものがあるわけです。

わたしは音楽をあらゆる芸術の上に考えてきました。
ムユルさんは絵画を中心に。

21日の大学講義はわたしの考えに近い先人の話が。
なんか嬉しいかも。どうよムユルさん。

あれだよ。美術なんて哲学だよ。
時間がなくて哲学の本なんて読めないです。
物語も。

なんでもそうだけど木を見て森を見ずにはなりたくないです。
一を聞いて十を知るになりたいです!
( ´-`).oO(位置を聴いて銃を知るって変換されたけど…怖!