切り崩す変容

日記を一年ずっと書いてきて、思ったことは
一日一日の些細な違いがとても大きな違いに感じられる
ということです。

例えるなら隣人の顔が急に老けたのを見て自分が年をとったのを
実感するようなもの。

自然に流れていく時間は、ある時止まったように見える。
でもそれが止まっていないんだ、ということを日記が
気付かせてくれます。

日本には春夏秋冬、季節は4つあります。
でも夏は夏でもその夏の中で季節が変わっていく、
それを思い起こさせてくれます。

毎年同じような風景を見て育ちました。
そうすると、前年に考えた俳句がふっと浮かんでくることがあります。
細かくは覚えていなくても、ここでこれをみてこんなのを考えた
なんていう記憶。
その景色に老けた隣人。

変わっているようで変わっていない、
変わっていないようで変わっている、日本を実感。

人工的に切り崩す変容とはちがう悲しみがそこにはあります。


些細な違い。
今日は久しぶりに一人でバイトから帰りました。
音楽を聴かずに帰りました。久しぶりです。
日記を書き始める前の自分ならこんなこと
最初から思いもしなかったのでしょうね。




ここまで。
書くネタが今日はたくさんありますので、メモ。
時事ネタなのに、あとでこれら書く気出てくるのかしらね。

東海大相模勝利!
ハーツクライ勝利
■オレハマッテルゼ勝利!