文化祭へ。

昨日はそんな筋肉痛プラス怪我でしたが追浜へ行ってきました。
高校の文化祭なので。

そうして余っていたお土産を放出!
なぜ余らせてしまったのか。これを考えると後悔の一念。
一昨日のキャッチボールのメンバーが6人だったのにもかかわらず、
6本入りの八ツ橋をもって行くのを忘れてしまったから。

運命とは残酷なものです。

ということにしておいて下さい。

そうして余っていたお土産を放出!


はい。放送部の後輩たちに。
自分が食べても良かったのですが、八ツ橋6本は多くて。
しかし後輩らは全員で8人、そして、マイミクのマイミクである顧問のお一人を入れますと9人。

争奪戦勃発。

させるわけにはいかないので、
お土産にはもう一種類ずつ、持ってきた3つもってきた油取り紙。
これが京都へ行ったすべてのお土産となります。
しかし、色々なことを考えて、油取り紙は2つしか放出しないことに。

さぁ、残った油取り紙は誰のものになるのか?
未来は誰にもわからない!
面白いもので自分用のお土産はちょっとだけ食べた赤福だけでした。



人の良さっていうのは全部はわからないものです。
簡単には見えないですし。
だけれどもわたしの周りの人は滲み出てるのですよね。
良さが。
たくさん。

わたしなんかでは数え切れないぐらいに。

それでも見えない良さ、というのは人にはあると思います。
ですから、どれだけあなた方は良い人なのですか、と。
小一時間問い詰めたい、そんな気分。

そのまま関連付けて書くと放送部の後輩はみんな器量よし気立てよし。
あー、なんだ?
なんなんだ?
あれか?
こんな良い人の伴侶には誰がなるのだろうか、なれたやつは羨ましいなとか、少し寂しいなとか、父親の気分とか、そういう念が湧き上がっている?
或いは、病気になるなよ、とか苦しみや悩みのないように、とか幸せを必ずつかめよとか、神にも祈るような気持ち?
嗚呼。



少なくとも、これだけ良い人に囲まれてるわたしは恵まれてます。
良い人というのは恵まれた環境にあるとは限らないけれど、それでも、その良さはどこかで養われているはずです。
今、世の中の歯車が狂ったと思っている人は、
何を見ているのでしょうか?悪(の歴史)とか?
何も見ていないかもしれません。うわべだけのものしか。

見えないものを見るには、その周りに見えるものを置けば良いのです。
ではこの場合の見えるものって何ですか?
それは見たい見えないものの反対ですよ。

通して、答えは出ましたか?
わたしは出ました。



文化祭に話を戻すと、国語を教わった先生と色々挨拶。
やっぱり国語の先生は癖のあるなしに関わらず、良い人。
この敬意を忘れたくはないですねぇ。

そして再度確認。
漫画部の部誌は明らかにうちの大学負けてました。
わたしの代のときより、ちょっとレベル下がってしまいましたがそれでも十分。コミケに出てた三浦高校にも勝ってますので問題全くなしです。
贔屓目無しに。

同級生は、数は少ないながらも挨拶を交わしました。
いうことは
「変わってない」
それだけ、皆さん。
変化のないことは一級の幸せですから。



さあ。
今日から大学再開。

最終の講義をサボって宿題が出たそうだけど何もやってない科目が一番最初。
どうなることやら。