言葉はハンティング

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=36689105&owner_id=496425
のコメントに書いたとおり洗濯機きたー。

本日はバイトの帰りにYさんと寄り道をして、一応服を見てきたのですが、気に入る服はサイズがなくて断念してしまいました。
うーん、買うべきであったのでしょうか。
Sしかなかったのですよね。
体型的には軽く着ることはできるのですが、袖とか丈とか短かったらいやなので。



さて、皆さんの日記を拝見したところです。
10個ぐらいかしら。
読んだ数ではなく、コメント付けたいなと思った日記の数がですw

多すぎてコメントを残すのが
めんどう 【面倒】
手数がかかってわずらわしい・こと(さま)。
大辞林
になったので明日いろいろと触れて日記にしちゃおうと思います。
おほほほほ。



今日はこんなことを思ったというエッセイを。

言葉はハンティング

昨日、一昨日と触れている本の影響じゃないけど、
(○○じゃないけど、という前ふりって大抵、
○○に関係してるのですよね。はっ、脱線してしまった。)
言葉で表現することってのはハンティングなんじゃないかなと、ふと思いました。

自分の今の気持ちとか、見た景色の感想を言葉にするときには、
ハントすなわち言葉を捕らえることが必要だなと。

表現したいと思うものをまずは感覚で捉える。
その捉えた感覚を言葉に変えるには、
自分の頭の中を駆け回っている言葉を捕まえなきゃいけない。
そのハンティングに成功したとき、
その表現はうまくいくんだと思う。
捕まえたくない言葉を捕らえたときは、しっくりこないんじゃないかと。


わたしは詞や詩、それに短歌・俳句をやりますが、
多分、わたし以外でも詩を書いたことのある人には
わかっていただけるのでは。

表現したいことがあって、それを
ハンティングして詩を書けたときはうまくいった気がする。
逆に先にあるフレーズが思い浮かんで、
それを詩に入れたい!とか思って作った詩は
どうも気持ちよくできたとは言い難い。

詩に限らずね、言葉での表現てみんなそんなような気がしました。
小説でも、手紙でも、感想文でも。




政見放送でも。
(やっぱりこういう内容は「ふたりぶんの大空」に書くべきか?)