いつか、急いで今際の月曜

わたしは活字中毒ではないですけれど、その活字から成る文章はとても好きです。どう違うのかというと曖昧ですが常に一つの字としてではなく、まわりのつながりを意識して捉えているという点でしょうか。
同じ漢字でも熟語によっては全く違う印象を受けることがあります。意味でも形でも。そんな文章に対して、ゲシュタルト崩壊を起こすこともしばしば。
こんな無駄な意識は、生き残る上でどう必要だったのでしょうね。
2、3千年前から知能自体は変わらず知識の積み上げで発展してきた人類は進化はしていないはず。暮らしぶりからして、この美意識はまったくもって生きるのに必要な能力とは思えません。
でもちょっと目を変えて、美意識とは祭りごとや見えない何かを崇拝する芸術のため、と考えると、荘厳なものにたいして美を、恐怖を、崇敬を抱いてきたものが生き残り人間を形成してきた、と考えるとなんとなくわかります。
それがただなんとなく、現代までつながっていると。
人に対してこいつかわいい、かっこいいと思うのは、もとを辿ると、こいつなら生け贄に捧げたら喜んでもらえそうだ、という発想があるのではないかと、そういう話。
芸術などに美意識的なものを感じない人が不良と呼ばれる人の中で多い気がしますが、不良って得てして無能な場合が多いと思います。
美意識のようなかつて必要だった生き残る本能が欠けているため、社会からはみ出るのかしら。といっても人間ってどの方向に行くか、自分でゆとりを持たせて幅のある生物なので、そういう道をも作り出したと、そういう話なのかもしれません。



連日携帯電話の話をしていますが、わたしは携帯電話は持っていない設定なので、あまり話はしたくない、はずなのですがいやいやいや、15日発売の新しいものを買ってしまい、その新しさ故に語らずにいられないという。写真はその携帯より。300万以上の画素数って、確かに良い、確かに良いですが…。
だめだ、持ってない設定のものに2万も出した自分が嫌に
なってきてしまったので終わります。もこみちストラップとか…これ…。



俯き嘯く、うつろの火曜日